魚の骨が、抜けた日。DEF CON CTF世界一までの20年
小池:「ずっと、喉に魚の骨が刺さっているような感覚だったんです。」
2026年8月、ラスベガス。世界最大のハッカーカンファレンス「DEF CON」のCTF決勝で、当社のエンジニアが参加する国際合同チームBlue Waterが世界1位に立ちました。その表彰台の上で、当社CTOの小池悠生が感じていたのは、歓喜ではありませんでした。喉に刺さっていた魚の骨が、ようやく抜けた。そんな解放感でした。

なぜ、優勝の喜びより先に「終わった」と感じたのか。それを知るには、この物語を最初から辿る必要があります。
目次
エピソード0:誰もいなかった決勝の舞台
物語は、優勝から20年、時計の針を巻き戻したところから始まります。
2010年、日本人はひとりだった
福森大喜(現・当社在籍)がDEF CON CTFの予選に初めて挑んだのは、2006年のことです。結果は70チーム中60位。翌2007年は150チーム中27位。世界の決勝は、あまりに遠い場所でした。
それでも挑戦を重ね、2010年のDEF CON 18で、ついに決勝の舞台に立ちます。CTF決勝に日本人はひとりしかいませんでした。アメリカ、韓国、ドイツ、アルゼンチン、スウェーデン、ロシア、エストニアなど、各国から腕利きがひとりずつ集まった国際チームに、日本人としてただひとり加わっての決勝進出でした。
「予選をきちんと通過してDEF CONの決勝に出た日本人は、おそらく自分が最初だったと思います。」
福森
「sutegoma2」。捨て駒だけが生き残った
福森の周りには、2006年頃からCTFに集まる仲間がいました。ただ、CTFの中核となるバイナリ解析ができる人は、福森が知る範囲でほとんどいませんでした。「どこの会社の誰々ができるらしい」という伝手を頼りに直接声をかけ、勉強会を開いて仲間を集めるところからのスタートでした。こうして加わったのが、千田雅明(現・当社在籍)、竹腰開(現・当社在籍)たちです。
当時、チーム名は大会ごとにその都度決めていました。そのひとつが「sutegoma2(ステゴマ2)」です。大会運営は登録したアカウントが消えてしまうことがあり、予備としてステゴマ2、3、4と複数のアカウントを作っておいたところ、生き残ったのが「2」だけでした。
やがて出る大会で安定して上位に入れるようになり、毎回名前を考えるより、これで固定しようとなったのが2010年。捨て駒のつもりで作った名前が、そのまま正式名称になりました。

翌2011年、この日本チームでDEF CON決勝に挑むことを決めます。
このチームで競技には出ていないものの、裏方を支えたメンバーがいます。現在の当社代表、牧田誠です。当時サイバーエージェントに在籍していた牧田は、会社に掛け合い、学生メンバーの渡航費やホテル代の支援を取り付けました。学生が世界に挑むための土台を、ロジ面で支える役回りでした。
滝のように流れるバイナリ
世界のトップとの差を、福森はバイナリを読む速度で思い知らされます。
「画面が滝のように流れていくんです。普通の人が見開き1ページを1分かけて読むところを、10秒で読んで理解する。大人になってから英語を勉強してもネイティブにはなれないのと同じで、努力では追いつけない差だと感じました。」
福森
ようやく解けそうだと思った問題は、他のチームが先に解いている。中には、競技の枠組みそのものをハックする発想で運営と渡り合い、後のガイドライン整備につながったチームさえありました。ハッカーの祭典の最前線は、そういう場所でした。
それでも、365日

追いつけないと分かっていて、なぜ続けられたのか。
「単純に楽しかったんです。一人だったらとっくに止めてたと思うんですが、会社や年齢の枠を超えてチームで四苦八苦しながら進んで行くことが楽しかった。」
福森
DEF CONのために、世界中のCTFを転戦しました。韓国、フランス。毎週のように大会に出て、月に一度は決勝のために海外へ飛ぶ。365日、競技のコードを書き続ける日々です。

結果はついてきました。2011年、sutegoma2としてDEF CON決勝に初出場。以降2013年まで、3年連続で決勝の舞台に立ち続けます。
学生メンバーの活躍が得点を押し上げ、日本のCTFシーンにも活気が生まれ始めていました。
病室からの、最後の決勝
しかし、頂点はまだ遥か先でした。
「60番から6番に上がるより、6番から1位になる方が、壁が高い。それを決勝で思い知りました。1位のチームは、想像もつかない速度で解いていくんです。」
福森
そして2013年、限界は体に先に来ました。机の前で365日、飛行機でも同じ姿勢、現地のホテルでも缶詰。決勝の5日前、福森は救急搬送され、緊急手術を受けます。肺に血栓が見つかる、いわゆるエコノミークラス症候群でした。
自身にとって最後のDEF CON決勝を、福森は病室からリモートで戦いました。飛行機のチケットは、取ってあったといいます。
この年の決勝は、約900チームの予選を勝ち抜いた20チームだけが立てる舞台でした。sutegoma2は決勝6位。当時の日本チーム最高位は、病室からの参加とともに刻まれました。
それでも、優勝には届かないまま、福森の挑戦は終わりました。翌2014年、sutegoma2がDEF CONの決勝に立つことはありませんでした。
関連記事:DEF CON CTF Finalsとは?世界最高峰と呼ばれるハッキング競技の決勝戦
バトンは、韓国のジュニア大会で
福森には、忘れられない出会いがあります。世界転戦のさなか、韓国のCTF大会でのことです。ジュニアクラスの決勝に、日本から高校生がひとりで参加していました。
のちに当社のCTOとなる、小池悠生です。
そのときの衝撃は、鮮明に残っています。
「CTFはチームでやるものなんです。Webが得意な人、バイナリが得意な人で分担する。それを高校生がひとりでやりに来ている。この時点で、普通の社会人と肩を並べるか、それ以上の実力だったと思います。」
福森
当時、最強だった韓国のプレイヤーに聞いた言葉を、福森は覚えています。強くなるには、若手が育つエコシステムができるまで5年、10年かかる、と。
実際には、もっと長い歳月が必要でした。福森が初めて予選に挑んだ2006年から数えて、ちょうど20年です。
「優勝できなかった心残りは、次の世代で達成してほしいと思っていました。だから悔しさは全くない。嬉しいだけです。」
福森
そして、福森の挑戦が終わった2014年。DEF CONの決勝の舞台には、別の日本人が立っていました。
ここから先は、バトンを受け取った側の物語です。
15歳の発起人

小池悠生(現・当社CTO)がCTFを始めたのは中学2年、13歳の頃です。個人が趣味で運営する常設CTF「ksnctf」が仲間内で流行したこと、そしてパソコン部の先輩に勧められて参加したセキュリティキャンプの最終日前日に、グループ対抗のCTFがあったこと。この2つがほぼ同時に起きたのがきっかけでした。
2013年頃、CTF大会「SECCON」で、運営に関わっていた千田と出会います。国内最強チームsutegoma2の存在を知ったのは、この頃でした。やがて、若い世代をDEF CONの決勝に連れて行こうという構想を耳にします。
2014年、小池はsutegoma2の海外遠征に同行し、韓国のCODEGATEを見学します。人生で2度目の海外であり、初めて目にする大きな世界大会でした。
同じ年のDEF CON予選で、転機が訪れます。sutegoma2が、予選落ちしたのです。
「sutegoma2でもダメなんだ、と思いました。それまでは頼れる大人たちで、教えを乞おうとしていた。でも、この人たちに頼りっぱなしではダメなんだと明確に思ったのが、あの予選のタイミングでした。」
小池
実はこのとき、小池が仲間と出ていたチームは、sutegoma2と同点でした。しかもチームの問題のおよそ9割を、小池がひとりで解いての同点です。15歳は、静かに自分の現在地を悟っていました。
そこで小池は、日本の上位チームを統合する構想を思い立ち、自ら声をかけます。EpsilonDelta、katagaitai、sutegoma2。3チームの精鋭による混成チーム「binja(ビンジャ)」の結成です。名前の由来は、binary(バイナリ)+ninja(忍者)。
DEF CON決勝への出場権が残されていたのは、7月に韓国で開かれるCTF大会「SECUINSIDE」だけでした。binjaはこの大会の予選を10位で辛くも通過し、決勝で4位。上位3チームがすでにDEF CONの出場権を持っていたため、繰り上がりでDEF CON決勝への出場が決まりました。準備期間は、わずか3週間でした。
この年のDEF CON決勝は、8つの予選大会・のべ800チーム以上の頂点に立った20チームだけの舞台です。即席の混成チームは、前線部隊と後方支援部隊の二手に分かれて、世界の強豪に挑みました。

当時の報道は、こう伝えています。「灘高校1年、小池悠生さん(15)が率いる8人のチームbinjaが初出場、健闘」(共同通信、2014年8月)。
そして競技を終えたとき、sutegoma2の千田は当時の取材にこう答えていました。「特に若い力が大変優秀で、あと2、3回チャレンジすれば、上位に食い込めるチームに育つ。そう強く実感できた」。
この予言が現実になるまでに、ここから12年かかります。
人数の限界
小池の目に映るDEF CONは、「統合を繰り返して、チームがどんどん大きくなっていく大会」でした。
binja単体でなんとか戦えたのは2018年頃まで。決勝出場を複数回重ねる一方、なぜか奇数年は予選落ちするジンクスが続きます。そして2019年の予選落ちで、限界を認識しました。
決勝は「攻防戦」と呼ばれる形式です。問題を解くだけでなく、互いのサーバーの脆弱性を攻撃し合い、同時に自分たちのサーバーを守り続ける。見ていない問題があれば、その分だけ一方的に攻撃され続けます。
「誰も見ていない問題が、終了まで残るんです。普通に考えたらありえない。攻防戦ですから、見ていない問題の分はずっと攻撃され続けている。それでもある程度上位が取れてしまう。つまり、うちも含めてどのチームもまともにプレイできてるとは思えないんです。おそらく上位3チームくらいしか、競技の全体像を把握してまともにプレイできていなかったんじゃないでしょうか。」
小池
「めちゃくちゃ悔しかったですね。毎年、まともにプレイできたという実感が一度もない。それがずっと悔しかった。」
小池
100人以上で参加するチームが、昔から存在する世界です。対するこちらは十数名。2020年からは、市川遼(現・当社在籍)が所属したTokyoWesternsと合流し「/bin/tw」として挑みます。これが日本の上位チーム全体の連合へと発展しますが、2024年、それでも予選落ちを喫します。
そこで手を組んだのが、国際チームBlue Waterでした。当時、Blue Waterのリーダーが当社への入社を検討していた縁で、連合の話がまとまります。
Blue Waterは強豪でした。それでも、頂点には届かない。2位が2年続きます。
中でも2024年は、最終日まで1位でした。しかし、こちらが見つけていなかった脆弱性を相手チームが夜の間に見つけ、攻撃され続けた末の逆転負け。脆弱性、わずか1つか2つの差だろうと小池は推測しています。
正直「心は折れていた」と小池は振り返ります。それでも今年、挑んだ理由があります。
「AIが強すぎて、来年以降はもう、僕らが知っている競技ではなくなると思っていました。今年がラストチャンスだと。これは周りのみんなも思っていたはずです。」
小池
AIが、人数の壁を壊した

2026年、競技の風景は一変していました。
「去年まで、AIは人間のアシストが必須でした。今年からは違う。人間の勘がいらない問題なら、本当にただ回しているだけで、AIがどうにかしてくれる。プレイヤーとしてカウントできるようになったんです。」
小池
能力の高い人の数が、圧倒的に足りない。何年も日本チームを苦しめ続けたその構造的な壁が、AIによって史上初めて解消された。しかも小池のチームは、そのプレイスタイルの変化への適応が、際立ってうまくいっていました。
といっても、AIに任せきりではありません。人間にしかできない仕事が、はっきりと残りました。
「例えば僕が担当した、ゲームの中でチートをするという問題。AIは視覚情報を扱うのが苦手なので、僕がゲームを操作して、その記録をAIに渡して解かせる。AIが苦手なタスクを全部引き取ってあげる、マネージャーに近い動き方です。」
小池
「攻撃の意思決定も人間の仕事でした。一度打った攻撃は通信ログに残り、他のチームに解析されてしまう。どの脆弱性を、どのチームに、どのタイミングで使うか。AIには即時性もなければ、責任も持てない。責任を持って何かを決定するのは、人間がやる必要がありました。」
小池
初日を終えた時点で、チームは6位。小池が最も怖かったと振り返る夜です。
また競技中には、AIの制御が意図せず効かなくなり、ルールに抵触してしまうトラブルも起きました。規定どおりのペナルティを受け、一時は他チームから抗議を受ける場面もありましたが、順位を左右するものではありませんでした。
しかし2日目、チームはほぼすべての問題で先頭に立つ猛烈な巻き返しを見せ、最終日を1位で迎えます。前年の逆転負けが頭をよぎるなか、小池はチームのDiscordに流れ続ける点差の通知を、最後まで見つめ続けました。
「優勝を確信できたのは、終了の10分前くらいです。そこでようやく、みんなの気が抜けて、優勝会場に行こうぜ、という空気になりました。」
小池
魚の骨が、抜けた
表彰台で、小池が最初に感じたのは、歓喜ではなかったといいます。
「いろんな感情が襲ってきましたが、一番は『ようやく終わったな』でした。ずっと、喉に魚の骨が刺さっているような感覚だったんです。我慢できるっちゃできるけど、気持ち悪さがずっとある。それがやっと抜けた。」
小池
20年間、玉砕を重ねた挑戦者たち。福森も、牧田も、千田も、竹腰も、市川も、いまは全員、同じ会社にいます。
「すごいことだと思うんですよね。勝てなかった系譜を継いで、念願を果たせたのは、下手したらうちだけなんじゃないかと。みんながやってきたことを引き継いでやれたんだなと思うと、感慨深いものがあります。」
小池
小池がこの会社を選んだ理由も、そこにありました。
「仲のいい人が、みんなこの会社にいたんです。セキュリティを自分のためにやるのは、もう嫌だなと思っていた。この人たちを助けるために仕事がしたいと思って、この会社に来ました。」
小池
日本人が中心的に関わるチームがDEF CON CTFの頂点に立ったのは、小池の知る限り、史上初めてのことです。
そして小池は、この優勝を手放しの美談にはしません。
「ニュートラルに見ると、プラスもマイナスもなく、歴史の転換点だと思っています。AIが主体で動く時代になった。それを象徴する出来事です。後から振り返ったとき、この辺りで本当にAIが主になったよね、と言われる出来事になっている。」
小池
世界一の知見を、AIに注ぐ

では、その時代に、守る側はどうすればいいのか。小池の答えは明快です。
「入口だけ防ごうという考え方が、通用しなくなっています。VPNで囲っているから大丈夫、という考えは本当に改めた方がいい。全面を強化する多層防御と、常に診断が回り続けていて、問題があればすぐに知らせる仕組み。その世界を、AIによる自動診断のプロダクトで作っていかないといけないと思っています。」
小池
その言葉どおり、動きはすでに始まっています。小池たちが世界の頂点で得た知見は、当社がセキュリティに特化して育てているAI基盤「AIホワイトハッカー byGMO」へと注がれています。
世界一のハッカーが、AIを育てる。その物語は、もう始まっています。
年表:DEF CON CTF、20年の挑戦
| 年 | できごと |
|---|---|
| 2006年 | 福森、DEF CON CTF予選に初挑戦(70チーム中60位) |
| 2007年 | 予選27位(150チーム中) |
| 2010年 | DEF CON 18。福森、国際チームの一員として初の予選通過 |
| 2011年 | 日本チームsutegoma2として決勝初出場 |
| 2013年 | 決勝6位(当時の日本チーム最高位)。福森は病室からリモート参加 |
| 2014年 | sutegoma2予選落ち。小池(15)の発案で混成チームbinja結成、繰り上がりで決勝初出場 |
| 2016・2018年 | binjaとして決勝出場 |
| 2018・2019年 | 市川遼(現・当社在籍)が所属したTokyoWesternsも決勝出場 |
| 2020年 | binjaとTokyoWesternsが「/bin/tw」として合流。日本上位チームの連合へ(〜2023年) |
| 2024年 | 予選落ちを機に国際チームBlue Waterと連合。最終日まで1位、逆転され2位 |
| 2025年 | 前年のリベンジを試みるものの、2位 |
| 2026年 | DEF CON 34。Blue Water、世界1位。福森の初挑戦から、ちょうど20年 |
当社に在籍するCTFプレイヤー
日本のCTFシーンを支えてきたチームの出身者が、いま当社に在籍しています。
小池悠生(binja)
福森大喜(sutegoma2)
千田雅明(sutegoma2)
竹腰開(sutegoma2、binja、TokyoWesterns)
市川遼(TokyoWesterns)
山崎啓太郎(TokyoWesterns、EpsilonDelta、binja)
波多野冬馬(TokyoWesterns、scryptos、binja)
清水祐太郎(TokyoWesterns)
他5名
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監修:GMOサイバーセキュリティ byイエラエ 編集部
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